2009/02/08

検証・・・My Life-0013

「中学校編-1 素敵な中学ライフ?」

 7ヵ月ぶりの書き込み。
ちょっと間が開きすぎだねぇ。

 無事C小学校を卒業して(当たり前か?)ワクワク、ドキドキして
いざ中学校へ!
が、しかし、俺を待ち構えていたのは絶望の中学校生活だった?!
ちょっと大げさかな・・・。

 通った中学校の正門までは、我が家から徒歩約3分。
が、これは登校の時の話。下校は約5分くらいかかる。
この時間差は家から学校への道が急な坂道だからである。
検証・・・My Life0005
まだ、12才程度の俺でも帰り道を一気に我が家へ向かった時は
息切れがするほどであった(決して大げさではないんだな)。

 通っていたのはS中。今は統廃合の末、学校名も無くなっている
はず・・・。寂しい限りである。

 中学校の真向かいには「B富士」という富士山にそっくりな山が
ある。
名前からくるイメージは素敵だが、この山は砂利採石のため日々
ハッパがかけられ削り取られていた。
学校の授業中にもハッパの音は響き渡る。
この「B富士」。標高は162m(昔はもっとあったはず)。

1969年頃
(1969年頃のB富士・・・卒業アルバムより)

今では富士と言えるような雄姿の面影もなく単なる「丘」程度にま
で削り取られてしまっている。小学校、中学校の校歌にも名前が刻
まれていたのだけれどなぁ。これもまた残念で寂しい限りである。
2007年頃

(2007年のB富士・・・帰省の際に撮影)

 入学式の事はあまり憶えていないな。
1年生の頃のクラスは10クラスほどあったと思う。が、卒業アル
バムにある3年生のクラスは7クラスだから記憶違いかも知れない。
でも一クラス40人ちょっとで7クラスだから、最近の学校と比較
すると生徒数は多かったね。

 そうそう、入学式の時は初恋の子のM子はどこかなぁって捜した。
でも、小学校1~2年のイメージが脳裏に焼き付いているものだから
捜すのに随分と右往左往したね。結果としては見つけることは出来た
のだけれど、辿り着くまでに何度もすれ違っていた。
そりゃ、そうだよな。脳裏に焼き付いたM子の顔やシルエットを頼り
に捜していたのだもの。すれ違ったって判るはずもない。
で、誰かに「M子はどこ?」って聞いて教えて貰ったんだけれど
顔を見て「?!?!」。そして、さっきから何度もすれ違っていた子
だったなんてなぁ。正直、かなりのイメージダウン(T_T)。
でも、一応声はかけたな確か。
だけれどM子の方は、俺みたいにずーっと思っていたのではなかった
らしく、声をかけたらキョトンとしていた。


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2008/06/16

検証・・・My Life-0012

「小学校高学年頃-3 卒業 そして 中学へ・・・その前に」

 今月11日(水)に伯父が亡くなった。満80才、腎不全だった。
3月には伯母が、今度は北海道にいる伯父である。
13日(金)にお通夜、14日(土)に告別式であった。
お世話になった人が結構いる俺だけれど、この伯父にも随分と
可愛がられ、お世話にもなったなぁ。この伯父は俺の父親のすぐ
上のお兄さん。父とも子供の頃から今日まで仲が良かったね。

一応、我が一族であるから伯父達が建てた先祖代々のお墓に
眠って貰おうと思ってるけどね。
でも困ったことに我が一族の継承は俺で終わり。
で、この度亡くなった伯父の子供は娘3人で皆嫁に行っている
し俺が逝っちゃったら墓がどうなるのかが心配なのである。

段々と自分の側にいる人たちが亡くなって行く。淋しいけれど
俺自身の年齢を考えれば仕方がない。順番というものである。

だけれど、心残りがあるのである。一族の長男が葬儀に出られな
かったのだ。年齢を考えれば、俺が強引に引き連れでもしない限
り動けなくて出られないと解釈も出来るけれど、どうも、理由は
そればかりではないような気がする。

この伯父は3月に亡くなった伯母の旦那。
伯母の遺骨を全て「散骨する」と決めたことについて、何故なの
かをハッキリ聞いた訳ではないので断定は出来ないけれど、何か
が引っかかっていたのだと思っている。だから、弟である北海道
の伯父の葬儀に出なかったのではと・・・。
しかし、これはあくまで俺の想像。
勿論、機会があったら今更ではあるが尋ねてみようとは思ってる
けれどね。

そんなことなものだから、俺の父親は一番上の兄ではあるけれど、
「もし自分より先に逝っても兄貴の葬儀には出ない」と言い始めた。
これは困るのである。喪主になるか施主になるかは分からないけれ
ど伯父には子供がいないから、多分、伯父の葬儀を行うことになっ
たら俺はそれなりの立場で式を務めなければならないはずだもの。
その時、が来たら説得するしかないのかなぁ。

色々考えることがあり気持ちが落ち着かないので、本テーマの本来
の書き込みは次回ということにしよう。


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2008/06/01

検証・・・My Life-0011

「小学校高学年頃-3  卒業 そして 中学へ」

 3月に亡くなった伯母の49日を4月20日(日)にA市の小さな
お寺で行った。質素である。
そして、5月25日(日)にH市沖合16kmの海上で散骨した。
伯母の遺骨は粉のように砕かれ、水に溶ける紙の袋に少しずつ
入れられていた。
当日は前日からの雨の影響で白波こそ無かったがうねりが酷い。
沖合まで具合悪くならないか心配ではあったが、ほんの少しだけ
気分が良くなかったが、何とか沖合に到着。クルーザーの手すり
につかまり散骨をした。目を閉じ暫く手を合わせていたいのだが
揺れて放り出されそうだったので合掌はほんの一瞬だった。
ゴメンナサイ叔母さん。


 さて本題である。

 小学校の頃の思い出って多分沢山あるのだろうけど、思い出せ
ないなぁ。嫌な思い出は結構思い出すのだけれど、楽しい思い出
は特に思い出せない。

5年だったか6年だったかは今一つ思い出せないのだけれど、
友人Sの目の前で父親に殴られ蹴られたことは嫌な思い出の一つ
として憶えている。自宅の玄関でである。
このことがあってからSは我が家に来ることがなくなった。
「お前の親父おっかねぇなぁ」って学校で言われたけどね。
口で言っても分からなければ手を挙げるのは我が家の教育方針
であって、殴られるても仕方のないことをしたのも分かっては
いたのだけれど、さすがに友人の目の前でやられたのには恥ずか
しかったね。

そう言えば、小学校4年生だったか5年生の時に「放送部」を
やってたっけ。放送室が好きだったんだなぁ。きっと。
リール式のテープレコーダーやアンプ、そして大きめのマイク。
確か取材なんかも行ったんだろうけど憶えてない。
憶えているのは、背も大きかったが顔の長いK君。同じ放送部
だったなぁ確か。う~ん。後はさっぱり思い浮かばない。

 「中学校に行ったら英語を頑張る!」なんて小学校の卒業文集
に書いた記憶がある。しかし手元にその文集が無いので、どんな
文面で、どの辺に英語のことを書いたかは定かではないが・・・。
でも、これからの世の中英語くらい話せなければっていう思いが
あったんだと思う。が、これは中学校へ入学してほんの少しで
挫折することとなる。この辺は中学校編で触れよう。

あ、それと中学校に行ったら小2の春に我が家の引越しによって
逢うことのできなくなった初恋相手のM・Iにも逢える!
「早く逢いたい!」・・・なぁ~んて思いながらワクワクしてた。

しかし挫折と幻滅が中学校では待っていたのである・・・。


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2008/03/09

検証・・・My Life-0010

「小学校高学年頃-2  漫画を描いたり悪いコトしたり・・・」

 ひな祭りの日に伯母が亡くなった。85才である。
まだまだ生きていてほしかったのだけれどね。
伯父、伯母には子供の頃にもお世話になったのだけれど、大人に
なってからは親同然のようにお世話になった。
伯父ももう83才である。伯母がいなくなったことで急に老け込ま
なければいいと思うが心配である。

このブログの中学生の頃を書くときに多少触れるつもりだけれど
伯父、伯母は北海道で酪農を営んでいた。
今でも思い出すのは牧場に放たれた牛や羊。
厳寒の地で牧草もあまりよく育たないなかったようだけれど、夫婦
で一生懸命頑張っていたのだ。


 さて本題に戻ろう。
 自分は絵を描くのが好きだった。漫画を描くのも大好きだった。
そんな自分にぴったりの同級生がいた。5年生の頃だったと思う。
 名前はH川。目はギョロ目。髪の毛は確か天パーだったような
気がする。
H川に怪獣を描かせたら天下一品である。
そんな彼と自分は意気投合! 一緒に怪獣漫画を描き始めたので
ある。二人で一つの漫画である。ようは藤子不二雄みたいにね。
彼が怪獣キャラや背景を描き、自分は人物中心に描いていた。
描く場所はもっぱら彼の家だったと思う。
その当時描いたものはどこにいったんだろうな。H川は持ってる
のだろうか。彼と逢うことができればいいのだが・・・。

 H川と漫画を描くのも楽しかったのだが、この頃は丁度思春期
である。だから悪いことも少しはしたなぁ。
悪いことの火付け役はKだった。
Kは雑誌の通販で手に入れたエッチな写真を持っていたのである
(こんな話をしても、もう時効だよね)。
Kの持っていた写真を一緒に見たのがOである。Kはちょっと
不良ぽかったなぁ。だけどOは真面目だった。
そんな真面目だったOと自分にKは火を付けたのである(人の
せいにしてはいけないか・・・)。
ここで赤裸々には書けないのだけれど、それはそれは顔から火が
でるような写真だった。
それを、止せばいいのにKから何枚かを借りたのである。
そして家へ持って帰ったのだ。が、親に見つかっては大変。
で、「ここがいい!」と子供ながらにいい隠し場所を見つけた。
壁に小さな茶器入れが付いていて、壁がベニヤだったのでベニヤ
をちょっと押してやると上手い具合に隙間ができたのである。
そこへ「ググッ」と押し込んだのである。
しかし、グッドアイデアと思ったのもつかの間。
父親に見つかったのである。子供の浅知恵であった。
押し込んだはずの写真の縁がはみ出ていたのである。
父親はそれを見つけ「何だこれ?」と自分を睨んでいた。
「おぉ怖っ!」。
だけれど、父親はその後何も言わずにそれを捨てたのである。

Kには「親父に見つかって捨てられた」って言ったのだが
さて、Kが何と答えたかは憶えてない・・・。
[小学校最期のクラス会で]

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2007/10/14

検証・・・My Life-0009

「小学校高学年頃-1  テレビ そして ポチ」

 ブログを継続するのは大変だなぁ。
納豆の話で盛り上がったのに、もう2ヶ月も間を空けてしまった。

 戦後20年近く経った小学校高学年辺りになると貧富の差も
かなり縮まった感じで、接ぎ当ての服を着ている子供はかなり
減っていたね。
テレビの普及率も50%位だったんじゃないかなぁ。
我が家は裕福ではなかったけれどテレビは6才頃にあったね。
勿論、白黒だよ。足が4本、緞帳がついていて、うさぎ型の
室内アンテナだった。

相撲なんかは午後3時頃からやってたね。
放映局が幾つあったかは憶えてないけれど低学年のころは
「白馬童子」を見てたような記憶があるね。
「♪白馬童子がやってきた。さぁ大変だ大変だ♪」だったかな?

小学校の高学年頃から「鉄腕アトム」が始まった。当然白黒。
子供達皆がテレビにかじりついたね。
コマーシャルは・・・
「♪
マーブル、マーブル、マーブル、マーブル、マーブルチョコレート♪」
の明治製菓。売れてたね。チョコレートよりもおまけのシール!
集めたね。貼ったねランドセルやら色んなとこに。

鉄腕アトムの前は
「隠密剣士」「恐怖のミイラ」かな。
恐怖のミイラはおっかなかったね。放映後のトイレはなかなか
行けなかったし寝床についても天井のベニヤの節を見てると怖い
ものに見えて寝るに寝られなくって大変だったなぁ。

そうだ!
「少年ジェット」なんてのもありました。
「♪ 黄色いマフラーなびかせて~♪」なんて曲で、主人公は
スクーターに乗っててシェパード犬が一緒に走ってたなぁ。
あぁ、
「まぼろし探偵」ってのもありました。「七色仮面」も。
随分見てたんだなぁ。でもストーリーは殆ど憶えてないねぇ。

おぉっ!
「忍者部隊月光」もありました。
この番組の影響は大きかったね。特に男子には。
「隠密剣士」では手裏剣やマキビシを使うシーンの影響で
缶詰缶を使って手裏剣作ったりしたけれど、忍者部隊月光の
影響で向かいの山に秘密小屋を作ったり、枝で刀を作り、割り箸
でゴム鉄砲を作ったりして
「ビシッ!バシッ!」
「バッキューン!」「ドッカーン!」なぁんて口で擬音を出し
ながら
野山を駆け回ってたなぁ。

こうやって振り返ってみるとテレビっ子だったんだねぇ。

 小学校3~4年の頃、犬を飼っていた。名前はポチ。
ありふれた名前だけれど大好きだった。貰ったのか捨て犬だった
のかは記憶に無いのだけれど、俺の言うことはよく聞いたし
もの凄くなついていたなぁ。
愛犬ポチ
親父は飼うのが反対だったのだけれど一生懸命世話をするという
条件で許可がおり犬小屋も親父が造ってくれたのは憶えている。
だから学校から返ったら毎日ポチと散歩。
食事を与えるのも俺の仕事だった。

だけれど、日が経つにつれ友達と遊びたいばかりにポチの世話
が疎かになってしまい親父に叱られることが多くなった。
今で言えば「クレヨンしんちゃん」みたいなものだね。
俺が相手をしなくなっていったためか、ポチは縁の下、それも
家の土台の周りばかり掘るようになってしまった。
あまりにも酷いものだから親父は太激怒!!
その結末は、ポチとの別れへとつながってしまった。
親父は、どうしてもポチを飼うことを許さないと言い、捨てる
と言い出したのである。

そして、ポチとのお別れの日・・・。
俺の生まれ育った町には当時、公害ワースト10に入る自然の
入江にできた工業港があるのだが、そこに係留されている艀に
放置することとなったのである。今じゃペット虐待ってことで
大騒ぎだろうね。
親父は泣きじゃくる俺を無視して、段ボール箱に入れたポチを
艀に飛び乗り置いてきた。ポチは置かれてすぐに段ボールから
飛び出し俺を見つめていたが、艀が岸壁から離れ過ぎていて
ジャンプすることができない。ポチに振り向く俺を親父は強引
に腕を引き家へと帰っていった。

自分がきちんと世話をしていれば、こんなことにはならなかっ
たわけだけれどね。

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